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  • 2009.07.18 Saturday
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農協系のスーパーで野菜の叩き売り

最近ではあまり見かけなくなったけど、高校時代にとあるスーパーの駐車場を利用した野菜の叩き売りのバイトをしたことがある。田舎の方にいけばやってるのかなぁ?

時給は800円程度だったように思う。
友達のお母さんからの紹介で、1日だけアルバイトをした。

お店の開店10時から6時ごろまでの仕事だった。

友人3人と一緒に仕事をしたので、結構楽しかったのを覚えている。
そんなにバカ売れはしなかったけど、普通にお客さんが通ったときに
『らっしゃい』
と言っていれば、婆さんやオバちゃんが意外と買ってくれた。

閉店間際だと、無茶苦茶安い値段で売って(正直利益あったかどうか?)
一応完売させた。




ちょい役のタレントだったころ。(その時代の銀幕のスター)

天知茂、高島忠雄(イェーイ)、藤田まこと高松英郎・・・・

そのとき彼等はみんな若かった。
そして俺も。


もう4,50年は前の話です。

たまたま友人が応募したタレント協会のオーディションに友人は落ちて、俺は合格してしまい、タレントの仕事をすることになった。

とはいっても、通行人の役や飲み屋の客などの端役である。

この仕事で辛かったのは給料が安いことはもちろんのこと、撮影が長時間で夜の7時〜翌日の朝5時ごろまで。
まだその間演技をしているならいいのだが、自分の出番が来るまで待つのがたいへんだった。自分自身は端役だから、出番は4,5分程で台詞がないこともしばしば。
でも待つ時間は長いときは6,7時間近くで待たされる・・

あるとき端役連中がある待機場で疲れて眠そうな顔をして待っていると、当時売れっ子だった俳優の高○英○さんが通りかかった。

彼が俺達の疲れ切っている表情を見て、たまたま通りかかった、新人女優のスカートをズバッとまくりあげて

『どうや!目覚めたやろ!』
と大笑いして、次の現場に向かっていった。

当時無愛想だった俺もさすがにビックリした。びっくり


今でも彼のことは好きだ。そのエピソード以外でも彼は本当に端役の俺達に気を使ってくれたことを今でも覚えている。
お亡くなりなってしまい、本当に残念だと思っている。




工場の中でのバイト(セクハラも良い男女コミュニケーションの一つ?) その2

(前回の続き)

この工場にバイトに来てよかったと思った。
最初は友人と離れ離れでちょっと寂しかったものの、この職場に来ることが待ち遠しくなった。ときめき


セクハラ、セクハラとちょっと過敏なぐらいに騒がれている今ではちょっと考えられない光景だけど、肝心なのは女性が嫌がるか嫌がらないかでセクハラかどうか決まる。

当時まだ高校生だったし、期間限定のアルバイトであったから、触られていた女性が本心では嫌だったのかどうか分からない。
ただ触っていた班長さんも、厭らしさをあまり感じさせない触り方はしていたように思う。それは人柄ってヤツかもしれない。

このときどうして女性が嫌がっていなかったかと思ったのは、あるとき班長さんの髪にホコリがついていたのをよく触られていた女性が取ってあげたり、普通に笑いながら会話をしていたりするをよく目にしたからだ。
少なくともその職場には全然気まずい雰囲気はなかったように思う。


このことを最初、違う職場にいっていた友人に話をしても信じてはもらえなかった。
オイラが『本当に綺麗な女の子のお尻触ってるって(笑)』といっても、
友人二人は『絶対嘘やわ』と口をそろえて言った。

そこで後日そのことが本当かどうか確かめてもらうために(バカだねたらーっ)、その班長さんに相談すると快く話を聞いてくれたので(笑)、その二人を連れてくると、うまく班長さんがタイミングを計って、お尻を触ってくれた。

『ほらぁ、言ったとおりやったやろ』

友人は嬉しそうにビックリしていた。


さすがにオイラはこの仕事が終る夏休みの最後の日まで触ることが出来なかった・・・




工場の中でのバイト(セクハラも良い男女コミュニケーションの一つ?) その1

まだ高校生だったときの話です。

夏休みの1ヶ月半を利用していいアルバイトがないか友人3人と相談していたとき、ゴリラに似た友人の親父さんがある繊維工場で働いていて、そこでアルバイトを募集しているからということで一緒に行くこととなった。

日当7千円。

20年近く前なので、うろ覚えだけど朝8時半から5時半までの勤務だった。(筈?)

その工場までは自転車で30分ぐらいかかる距離で今思えば、よくやっていたなぁと思う。


勤務当日まず、友人あわせて3人でその工場の次長さんと仕事について少し話しあって、職場に行くことになったのだが、オイラ一人だけ違う職場になってしまった。
まだ高校生ということもあって、友人と離れて仕事することになったのはかなりショックだった。唖然


このとき友人二人の仕事内容は分からなかったけど、オイラの仕事内容は繊維に染める染料を混ぜ合わせたりする仕事で、小型のモーターというかドリルみたいなものでバケツに入っている染料を混ぜる。
ちょっとした力仕事で、バイトをはじめて1週間程度は両腕の筋肉痛が取れなかった。
泣き顔

人間関係は最初のうちは、普通で特に怒られるとかなかった。
それなりに真面目にやってはいたから、当然といえば当然だったと思う。

友人と離れ離れになったものの、嬉しいことはあった。
それは結構綺麗なお姉さんがいたということだ。
しかも2人。


少しその職場の雰囲気にも慣れた1週間程度たった頃、職場の班長さんに
『あの人綺麗ですね』と聞いてみると、嬉しそうな顔をして
『そう思うやろ(笑)』と答えてくれて、それからはその班長さんとかなり気軽に話しをするようになった。


あるときその班長がオイラが仕事している途中、笑いながら”こっち、こっち”と
手招きをするので、なんだろ?と思って見ていると、班長さんの前を女の子が通り過ぎようとしたときに、お尻をペロっと触った。

女の子は、またかみたいな表情で笑っていた。

これは高校生のオイラにとって嬉しい衝撃だった。

・・・・続く







じぃさん、ばぁさんと

学生時代、ある大手百貨店が運営するショッピングモールの中にある雑貨屋でバイトしたことがある。
オルゴールやランプ、小物入れなどを販売しているお店です。

小さなスペースで3畳半ほどであろうか。


確か大学3回生だったときに、アルバイト雑誌で見つけて、時給は800円。

仕事内容は接客です。


さほどしんどい仕事ではない。

そんなにお客さんがたくさん来るわけでもないし、結構のんびり出来た。

このお店の店長さん(オーナー?)はおじいさんとおばあさんの夫婦だった。

じいさん、ばあさんというとチャーミーグリーンのような仲良し老夫婦ばかりではない。

このお店のじぃさん、ばぁさんはよく喧嘩をしていた。。ムニョムニョ

たいてい、ばぁさんの方がじぃさんに怒っていたが、じぃさんが怒られると、そのとばっちりをよく受けた。困惑

あるとき、もう一人バイトを雇うことになって、大学生の女の子がやってきた。
結構、おっとりした宝塚好きの女の子だった。


でもじいさん、ばあさんは変わらない。

彼女がアルバイトに来て1週間ほどたったころだろうか。

そのときオイラに

『じじぃ、めっちゃ腹立つ』

とちょっと小声でぼやいた。

数日後、彼女は来なくなった。





洋服屋のバイト 『さーどっせー』

はじめてクビになった仕事として、前にエントリしたこの仕事。

この仕事で今でも覚えている印象に残ったことがある。


それはお客を呼び込むための掛け声

『さーどっせー』

『なかのほ、どどっせー』
(※声を張り上げて)


なんとなく意味が分かるかもしれないけど、一応通訳すると
『さーどっせー』=
『さぁどうぞいらっしゃいませ』

『なかのほ、どどっせー』=
『中の方にどうぞいらっしゃいませぇ〜』

この掛け声を聞くとどうしても笑ってしまった。
楽しい

もちろん、声を出している店員は本気だから、隠れてクスクス笑うんだけど、
この掛け声に効果がなかったことはいうまでもない。






高速サービスエリアの食堂

高校を卒業して、大学に入学するまで2週間程度お休みというか自由な期間があった。

そのときを利用して職業安定所にいき、目にとまったのがウェイターの仕事だった。


最初は喫茶店かなと思っていたが、○○産業と喫茶店らしくない会社名がついていたから何のことか分からなかったが、今考えればそれは派遣会社の名前であったことが分かる。

タイムマシーンがあって、当時若造だったオイラにもし会えるなら、こういってやりたい。

『そのバイトは止めておいた方がいいぞ』と。


このバイトの勤務時間は夜8時から朝の8時までで途中2時間の仮眠がある。

仕事の内容はといえば、まったく喫茶店のウェイターと変わらない。
場所は高速のサービスエリア

夜中だから若干お客は少なく、お客の大半はトラックの運転手だった。

仕事の内容そのものはけっして難しいものではない。
注文をとって、厨房の人間にそれを伝え、お客に食事を運び、終ったらかたずける。
最初はお膳に並べる順番(例えば、左下にご飯、隣に漬物、上にメインって感じ)がよく分からなかったがさほど難しいわけではない。


この仕事で高校生卒業したてのオイラが我慢できなかったのは、仕事が夜中だったということで、今までと生活が全く逆になったということだ。ムニョムニョ

一緒に家族と生活しているものの、家族の居る時間は寝ていて、すぐ仕事だったから、なんかすごく孤独な感じだったのを覚えている。
これがまだ半人前だったオイラには耐えられなかった。。


ということでこのバイト、4日しか続けることが出来なかった。

これまでバイトした中で一番続かなかったバイトです。。





学生時代のアルバイト  クビになったとき

前回のエントリで、洋服屋のバイトの話を書きましたが、この仕事のときにはじめて”クビ”というのを経験しました。

原因は寝坊による遅刻・・・。

当時はまだ大学生になりたてで、高校生のときは生活のリズムがちゃんとしていたものの、この時分は深夜テレビにどっぷりはまって、リズムが狂っていました。困惑

目が覚めたときはすでに遅く、当時携帯もなかった時代で、部屋には電話もなかったから、連絡するには公衆電話までいかないと駄目。
連絡したとしても怒られるのは分かっているから、そこまでして電話もしない。

2度目まではなんとか大丈夫でしたが、3度目のとき副社長さんに呼ばれて

『もう明日から来なくていいから』
冷や汗


嫌なバイトではあったもののショックは大きかった。


このときから、目覚まし時計をもう一個追加しました・・・。









学生時代のアルバイト

もう十数年ほど前の話。(もっと前かも)

当時学生だったオイラは、一応勉学に励まないとということで楽そうなアルバイトを探していました。
何を基準に”楽そう”な仕事を選んだかというと、時給の安いというところ。


でも失敗しました。。モゴモゴ

その仕事とは、洋服を販売する仕事で、時給は確か650円。


お店は大阪の難波にあり、当時オイラは八尾というところに住んでいて通勤には約1時間ちょっとかかりました。

まだ学生なりたてで、生活のリズムがまだつかみきれてなかったことから、よく寝坊をしました。撃沈



仕事の内容はというと、これがとても退屈で、畳んで置いてある、服を何度もたたみなおして時間をつぶしたりします。

たまにお客さんがくると、妙な笑顔を作り接近して、販売する。

元々照れ屋なオイラにはこれは苦痛でした。
自分がお客の立場でも嫌だし。。


それと職場の同僚、上司の人もキザっぽい人が多く、悪い人ばかりではなかったけど、なんとなくオイラはギコチナくなって居心地はあまりよくなかったことを覚えています。

たぶん、性に合わない仕事だったのでしょう。。



また続く・・かも




男はつらいよ・・

当時私は26才だったから、昭和36年の夏、念願の事務職を得た。
東○寝具という従業員26人程度の、所謂町工場だった。新中卒で肉体労働の将来に希望を見失っていた私は、三年前から独学を続け、三回目の受験で日商簿記の一級に合格した。


すごく辛い時期があって、就職の際健康診断を受けたら知らぬ間に肺をやられていたことが分かった。
これまでもヘマな就職をし、これからもヘマを繰り返すのだが、当時の労働市場、特に会計事務の賃金相場に疎かったことは致命的だった。
肉体労働から脱皮できる喜びで、示された初任給をホイホイと呑んでしまった。


次に脇目もふらず、サービス残業も厭わず仕事に取り組んだこと。
頑張った結果空白の時間ができ、その空白に工場の仕事を命じられ、どうかすると工場の仕事が主体になり、工員の休憩時間に会計事務をやるというひどいこともあった。

そのうち受付の女の子が結婚を機に辞め、かわりにバツ一の私と似た年齢の女性が入ってきた。私が仕事の内容や手順を説明することになり、逐一説明していたら、大きなため息をついて、こう言ったのだ。

『へぇ、それを全部わたしがやるんですか。私のサラリー、いくらかご存じ?XXX円よ』

この言葉は実に衝撃的だった。
なんと私の給料より3千円あまり多かったのだ。

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